自分が映画の中にいないことが悲しい

おれはそんなに映画を見るわけではないのに、良い映画を見るといつも考え込んでしまう。なぜ泣けるのか?なぜ笑えたのか?ポイントはストーリーの繋がりなのか、人物描写の深みなのか、カット割りなのか。でも、いくら小難しいことを考えても、おれの頭はセンスのある人が作るセンスのある物語を言葉に置き換えて表現できるほどよくはないから、自分が感動している理由すらわからぬまま。どんなに面白い映画を見ても、納得できないようなもどかしさが残って悲しくなることがいつもだった。

ただ、ある一本の映画を見て、結局おれはおれが中に入りたいと思うような映画が好きなんだなということに気がついた。『インデペンデンス・デイ(旧作)』で大統領の演説に全力で敬礼したり、『カリオストロの城』だとグスタフ衛士隊と乱闘したり、『機動警察パトレイバー2』だったら不審機の接近に管制塔で「ジョウダンジャネエ…」って呟いたりしてるおれがいて欲しい。多分、それだけがおれにとっての映画の基準になってる。

ちなみに今日見た映画というのは話題の「カメラを止めるな!」だ。詳しいネタバレは控えるけれど、とにかくあの映画に「ねえ、あれで良いの?」と尋ねるおれがいて欲しいと焦がれるように思った。それで結論に至ったわけだ。

と、さも大発見のように書いてきたけれどもしかしてこれがみんなの言う「感情移入」というやつなのかもしれない。おれは今までそんなこともわからなかったのか、バカだ。

とにかく、おれにとってはとてもスッキリした。でも今度は「どうしておれはそこにいないんだ!!」という悲しみもハッキリしてしまった。「カメラを止めるな!」のような映画だと特に。

だから今、おれはそれなりに沈んでいる。「いやいや、映画だから」と真っ当な大人は言うと思う。でも、おれにも同じような感覚を味わえるようなルートはあったはずなんだ。今はそうなってはいない。悲しい。

考えてみれば昔からおれは自分の好きな映画があっても繰り返し見ることはせず、なぜか触れてはいけないもののように封印してしまうたちだった。自分でも不思議だったが多分これが原因だ。

これから面白い映画を見るたびに、そういう現実を突きつけられるのかと思うとすごく辛い。

 

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